題詠blog2011鑑賞を終わります

(Sat)

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題詠blog2011、今回は20名の方(ゴール順及び飯田彩乃の百首から選歌をしていただいた方)の百首から鑑賞させていただきました。

短歌は詠みと読みによって成立するものと思います。それを痛感する年であった2011年、このような試みをするに至りました。同じ題でここまで違う世界が拓かれる。そのことを、歌を読むことによって実感することができたと思います。稚拙な読みを書き散らしていることは重々承知の上ですし、おそらく「何をやってくれとんじゃ」と思われた方もいらっしゃったことでしょう。が、概ね好意的に捉えていただいたこと、コメントまでも寄せていただけたことをとても嬉しく思います。

今年ももう少しで題詠blog2012が始まります。また皆さんの創意に満ちた歌が読めることを心から楽しみにしております。
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天鈿女聖さんの歌から5首

(Sat)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、天鈿女聖さんの歌から5首を選ばせていただきました。

021:洗
大洗漁港まで来て君のこと好きじゃないってわかったんだよ


大洗漁港は、茨城県大洗町に存在した港である。三年前に近辺の港と統合されて茨城港となったそうだが、今も変わらず大洗と呼ばれているのだろうか。
天鈿女聖さんの短歌には、固有名詞がよく出てくる。そしてこの歌は、百首の中でも題として使ったことで地名が生きているように思う。漁港というチョイスもまた渋く、単に大洗港とするより断然いいと思う。好きじゃないとわかったのなら、好きだと思っていた、思い込もうとしていた時期もあったはずだ。無骨な作業場である漁港にて、自らの内に渦巻く思いから、いったい何を洗い出したのだろうか。


025:ミステリー
ミステリーサークル作り出すときの涼宮ハルヒみたいな瞳


天鈿女聖さんの特徴はもうひとつ、アニメなどに関する作品も多いことだ。題詠百首の一首目も「初音ミク」から始まっているし、何よりブログを訪問すればその傾向は一目瞭然である。
涼宮ハルヒはライトノベル「涼宮ハルヒシリーズ」の登場人物。主人公ではなくメインヒロインである。細かい説明はWikipediaに譲るとして、ここでは「瞳」を導き出すためにそれまでがすべて序詞となっている点がポイントである。
含まれている固有名詞およびその背景を知らないと鑑賞が一気に難しくなるという難点はあるが、題詠blogはイベント、即ちお祭りである。こういった作品もどんどん作ってもらいたいと思う。百首ひとつにつきアニメ一作品、という縛りがあったら面白いかもしれない(作るのは大変そうだが…)。


031:電
電話でもなくていいこと言われてる 蜂蜜味のあめ玉なめる


メールが普及してから、電話の位置づけは若干上がったようだ。電話であれば寝ている相手を起こしてしまう心配があるが、メールだとそれをさほど気にせずにすむ。メールの方が気楽なのである。
「言われてる」とあるから、おそらくこちらからほとんど話すことはない。口の中で転がしているあめ玉から溶け出した蜂蜜が、ねっとりと舌に絡みつくほどに。


094:裂
破裂したフラスコだったもの集め未来をつくる仕事をしよう


「裂」の題からは、あまり明るい歌は出てきにくいような気がしていたのだが、この一首を見て考えを改めた。やはり題を料理するのは詠い手自身なのだ。先入観はいけない。
実験の途中、フラスコははかなく割れてしまう。しかし、粉々になったフラスコの欠片ですら、まだ見ぬ未来へと繋がっている。少なくとも、そう信じている。希望が感じられる、気持ちの良い歌だ。


097:毎
毎秒1428キロで進めば好きって言える気がする


「毎秒1428キロ」という、無闇な速度。速度感と恐れ知らずの迫力を感じて好きなのだが、「毎秒1428キロ」が何を指すのか、具体的にはどのくらいのスピードなのか(具体的な数値は出ているが、体感的に「どのくらい」かを感じられない)がわからないので、この速度が何の速度なのかがわかるような詞書や注などがあれば、もしくは具体的な何かの速度の名前が挙げられていればもっと良かったのではないかと思う。
ちなみに、電子の速度(フェルミ速度)は約1,000km/sである。

※天鈿女聖さんに飯田彩乃の題詠blog2011の百首から七首選をしていただきました。

保武池警部補さんの歌から5首

(Wed)

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自分が題詠blogに参加していたとき、何となく併走者の様子を見ながら走っていたのだが、保武池警部補さんの歌を見て驚いてしまった。この題詠blogに、回文短歌という縛りを自ら課して挑む人がいようとは思わなかったのである。この方、回文に並々ならぬ思い入れがあるのかまずハンドルネームからして回文である。

意味を目的として作歌をするのではなく、「歌を回文にする」という大命題がある以上、歌としての精度は少なからず後回しにされるのではないかと考えていた。歌によく使われる名詞をランダムに組み合わせるプログラムにより生成された短歌のように、意味を掬い上げようとする読み手を翻弄し酩酊させるような、そんな歌ができあがるのではないかと。

だが、それは単なる先入観だったと思う。たしかに回文短歌は、通常の短歌のように一度読んだだけではすっと入ってこない。歌であってしかしどこか歌ではないような印象を受けるのである。しかし、二度三度読み、逆から読み(通常の短歌では絶対に行わないこのプロセス!)としているうちに、彩りに満ちた情景が立ち上がってくる。五七五七七という定型以上の制約の激しさで言葉の純度が増した分、歌に不思議な深みが与えられているかのようだ。なにより、一首の歌として立たせようとする作者の強い意志が感じられる。

以下、はっとさせられる五首(本当はもっとあったのだが)を挙げておく。私にとって回文短歌は新しい発見だった。このジャンル、これからも注目していきたい。

035:罪
億筋の蜜も似ている甘い恋まあるい手にも罪の雫を

056:摘
遠しあの夕白籠に摘む実食み陸奥に木枯らし冬の足音

069:箸
しまう音 亡き人の箸いこうよう 「恋しは?」の問ひ気など負うまじ

075:朱
血の朱のくゆりて旅人魂気尽き また飛びたてり行くのかあの地

099:惑
尽きぬ笑みぞ媚び誘惑の其身包み その咥う指こそ見えぬ傷

オリーブさんの歌から5首

(Sun)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、オリーブさんの歌から5首を選ばせていただきました。

001:初
「初めて」を部屋に残してきた夕べ わたしの中のことりが孵る


たましいは、輝く鳥のかたちをしているような気がする。あくまでの私のイメージだが、そう思うのは、ヤマトタケル伝説で死んだタケルの魂が都へと帰るときに白い鳥となって飛び立っていったことに由来するだろう。
この歌では、孵ったことりは内なる自分の目覚めの象徴だろう。何らかの初めての経験をへて、ようやくわたしの人生が目を覚ましたのだ。


002:幸
坂道の途中にあった幸せを 自転車からは拾えなかった


私の実家の前の道はかなり急な坂になっていて、上の方から自転車で下るととても爽快だ。だが、気持ちがよすぎるあまり、スピードが出すぎるのも事実。そして速度が早すぎると、いきなりブレーキをかけるのも危ないのである。
あ、と思った瞬間に幸せは後ろへと飛び去ってゆく。自分が選んだ速さにせよ、胸をよぎる後悔は苦い。それでも、そのままぐんぐん下って行ってしまうか、降りて自転車を引きながら戻るのか。道は二つ残されている。


018:準備
堕ちていく準備はいまだできぬまま しずかに正す制服の裾


制服は戒めの象徴だろうか。「堕ちる」(なにに?)という抗いがたい誘惑に駆られながらも、指はきちんと裾を直している。ただ、なぜだろう。堕ちていく準備をするときも(そもそも、堕ちゆくときに人は準備などしないはずだが)、この人はきちんと身支度を整えていそうな気がする。


034:掃
思い出を掃除しきれず本棚の影さくさくと青林檎食む


一読したとき、河野裕子の「青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり」と北原白秋の「君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」の、いずれもとても有名な二首を思い浮かべ、そして下敷きにしているのだろうかと考えた。そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。そうでないかもしれないのに一瞬そう思ったのは、初句の「思い出」が何のことだかわからなかったからだろう。
敢えてなのだろうが、これら100首のなかには抽象性が高い歌がところどころ見受けられる。美しい歌なのだが、読み手側が掴むとっかかりが減ると、結果として結像力が低くなってしまう。難しいところだ。


058:帆
少年の白いTシャツ風はらみ帆船となる夏の自転車


この作者の題詠には、色がよく出てくる。この一首は、白の歌のなかでも爽やかな歌だ。
白は、背景の色によって表情を変える色だ。だが夏の少年が着るTシャツの白は、何者をも寄せ付けず、どこまでもきっぱりと白だろう。

千束さんの歌から5首

(Thu)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、千束さんの歌から5首を選ばせていただきました。

002:幸
幸いの輪郭ばかりなぞっているこの指先はどこにも行けない


幸せはまあるいかたち、とはどこで聞いたフレーズだったか。確かに幸福に角やトゲは相応しくない。
しかし、丸はそれだけで完結している。完全、不変、ゆえに孤独。この状況を打破するには、幸いから指を離してしまうか、もしくは幸いの中へと指をめり込ませるか、二つに一つなのだろう。


011:ゲーム
神さまが創り給いしゲーム盤むかいあうぼくら真冬のプールで


一読して、「白の椅子プールサイドに残されて真冬すがしい骨となりゆく(佐藤弓生)」を思い出した。上句の「神さまが創り給いしゲーム盤」は、ぼくらの立っているプールというよりは世界全体を指し、そのなかでも対峙している場面の背景として選ばれたのが真冬のプールである、と読みたい。水が張られておらず落ち葉などが好き放題に舞い込んでいる冬のプールは、寂しいけれどどこか清々しく、世界のルールに戸惑うぼくらが向かい合うには相応しい情景であるように思われるからだ。


020:幻
幻を視るのはいつも夏の宵あなたの影がひとつ増えてく


祭りの晩の風景だろうか。説明も不要なほど、歌のなかから幻想的な情景がひろがってくる。増えた灯りによって新しくできた影などとは比べ物にならないほど、存在感のあるあなたのふたつ目の影。そんな幻を視させているのは、夏の宵か、それとも「あなた」自身なのか。これ見よがしにひとつ増えた影は、本当は一流の種明かしなのかもしれない。


052:芯
この壁を壊せるものを探してたシャーペンの芯はすぐに折れるし 


「ペンは剣より強し」と言うが、このペンは万年筆のような力強い筆記具であろうという固定観念がある(慶應の校章もそのようなペン先がモチーフだ)。しかし、壁を壊す強さを手に入れたいのに、手元にはシャープペンシルしかない。戦おうにも芯はポキポキとすぐに折れてしまう。そこで求める「この壁を壊せるもの」とは、剣やそれに類するものではないか。御しきれぬほどの荒々しい力を手に入れて、壁はやがて脆く崩れ去るだろう。その時、足元に散らばる数々の瓦礫が、いつだか手の中で容易く折れたシャーペンの芯に重なって見えるのではないか。そんな気がしてならない。


086:貴
木苺で指先染めた春も過ぎ見送るだけの貴女のうなじ


別荘地に来た少女と、その地に住む少年がともに過ごした短い季節の物語を思い浮かべる。木苺の赤と、うなじの白が鮮やかなコントラストとなっていて美しい。紅く染められた指先は、うなじに触れたかったのではないか。そんなことも考えてしまう。やがてセピア色の思い出へと変化していくとしても、刹那の輝きこそが永遠なのだ。

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