浅草大将さんの歌から5首

(Fri)

Posted in 題詠blog2011鑑賞

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、浅草大将さんの歌から5首を選ばせていただきました。

007:耕
耕して拓く楽土の夢さへも荒れ野の果てに伯父は眠れる


一心にまじめに働いていれば幸せが約束されていた時代というものが、たとえ幻想だったとしてもかつて確かに存在した。「荒れ」は「在れ」と掛かっているか。大らかな上句から一転して下句はもの悲しく、恐らくは報われずに失意のまま死んでいったのであろう伯父の姿が痛ましい。


038:抱
人にこそ君は心をうつせみの体ばかりでわれを抱くかも


うつせみとは、万葉集にも登場する「現人」(うつしおみ、うつそみ)のこと。当て字として「空蝉」となり、そののちにうつせみと読みが変った。つまり、もともとの意味は「この世に生きる人間」であり、転じて「この世」「現世」を指していたのだが、「空蝉」の当て字を使い始めてからは、「蝉の抜け殻」あるいは「抜け殻のような虚ろな状態」をも意味するようになった。
君の心は、他の誰かのところにある。抱かれていても、仕草で、眼差しで、それがわかる。わかってしまう。今ここにある身体は極めて現実的な事象だが、心という中枢がなければ果てしなく無意味なものなのだ。


050:酒
思ひ出を琥珀の酒に飲み干せば身ぬち燃えくる黄昏の海


成人の特権のひとつは、酒という極めて有用なツールを手に入れられることではないだろうか。親しい仲になるための取っ掛かり、言いにくいことのきっかけ、憂さ晴らし、用途はいくつでも思いつく(もちろん、ひとつ間違えれば恐ろしい道具ではあるのだが)。
この歌で切り取られたシーンでは、酒は思い出を浮かべて飲まれているようだ。琥珀、燃えくるというキーワードから、ウィスキーのようなアルコール度数の高い酒を想像する。酒は喉を灼きながら、忘れられない光景の燃える海まですべり落ちてゆく。


062:墓
大空にとぶらふ魂の昇りなばはや鳥部野の墓ぞむなしき


鳥部野とは鳥辺野とも書き、京都の清水寺から西大谷に通じるあたりの地名。古くは火葬場があったというが、地名についている「鳥」という字は、この地が元々死骸を捨て置かれた地で、あたかも鳥葬の様相を呈していたことに由来している。
上句が伸びやかにあるだけに(ヤマトタケルが亡くなった折に白鳥となって大和へ帰っていったという伝説を思い起こさせる)、転じて見る地上の墓の数の夥しさ、その侘しさが浮き彫りになるようだ。


068:コットン
働けど森の水車の休みなくことことコットン春まだ浅き


文語で歌を詠まれている方がこういったカタカナのお題をどう料理されるのか興味津々であったが、中でもこの一首には、なるほど、と思わず唸ってしまった。
水量や流れの勢いによって、四季おりおりに異なる音を奏でるであろう森の水車。「ことことコットン」という擬音語が、ひらがなとカタカナで表記を変えたことも相まって、初々しい季節を思わせて歌の中で可愛らしく響いている。

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