紫苑さんの歌から5首

(Mon)

Posted in 題詠blog2011鑑賞

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。
今回は、紫苑さんの歌から5首を選ばせていただきました。

027:水
くちかずの多き光に照り映ゆる真水はものをいはぬ毒薬


陽が燦々と照りつけて、目に眩しいほどの照り返しとなっているところを「くちかずの多き光」としたのが巧みである。
湖面を眺めている場面だろうか。鑑賞する側としては下句、特に結句の「毒薬」をより効果的に働かせるために、ダムの水面としてみたいところである。


031:電
電脳のうみ漂はばにじいろの尾びれそよがす魚(いを)とならまし


「ネットサーフィン」という言葉を、近頃はめっきり使わなくなった。使用されていたのは、インターネットの普及がいっそう進んでいった90年代の半ばから後半にかけてだろうか。加速度的に増え続ける情報を海と例え、その中を彷徨うことをサーフィンと称していた頃に誰もが感じていたインターネットへの期待と不安を思い起こさせながら、ふるりと尾びれをそよがせる。幻想的で美しい一首である。


056:摘
笑む君は手ゆび美(くは)しき殺人者摘む花首は我やもしれぬ


目の前で笑む人は、どうやらその美しい指先で誰かを殺めたようだ。次に触れられるのは自分かもしれない、とうっすら考えつつも、視線はその手指から離れない。美しさゆえに殺められることをすでに許してしまっているような、いや、殺められることこそを望んでいるようにも思える。まるで、その指先に殺められることによって、自らが花となれるかもしれない、とでも言うように。抗いがたい暴力性によっていっそう際立つ美しさというものも、この世には確かに存在するのだ。


077:狂
狂ほしき嵐の去りて天井の白きを空のごとくに眺む


喧嘩をした恋人が家を出ていった場面を想像する。背をどこかに凭せかけ、ぐっと頭を後ろに反らすと、それまでは二人にのしかかって来るようだった天井がやけに広々として見えた。まさしくそれは嵐が去ったあと、大気が攪拌された痕跡をぼんやりと残すばかりの白い空だ。胸に去来するのは、寂しさも幾分あるかもしれないが、大部分を占めるのはおそらく安堵感だろう。二人でしか得られぬものもあるように、一人でしか得られないものもある。そんな当たり前のことを、白い天井は無言で教えてくれる。


087:閉
厨辺のましろき湯気に閉ざされて妻たる我よ盲目であれ


働く既婚女性が口を揃えて言うのが、「外で働いているほうが絶対に良い」ということである。彼女たちは産休・育休取得後に職場に復帰しているのだが、家にずっといると一日中子ども以外の誰とも話さないため気が滅入ってしまうと言うのだ。いずれも未経験の身としてはそうなのかと話を聞くことしかできないのだが、このような歌を読むと妻という女性がいかに閉ざされた場所にいるかが身に迫ってくるようである。盲目であることを己に課している「我」を閉ざしているものが、形を持たない「ましろき湯気」であることに彼女の鬱屈が現れていよう。
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