アンタレスさんの歌から5首

(Thu)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、アンタレスさんの歌から5首を選ばせていただきました。

002:幸
幸せを願い娘の名に幸つける老いて今問う幸とは何ぞ


年齢や人生経験を重ねないと詠めない歌は確実に存在する。上記の歌も、この典型だろう。
ただただ幸せであれと願ってつけた娘の名であるのに、何十年も経ても「幸せとは何なのか」という問いが自らの胸に去来する。一見苦くも見えるそんな思いの裏に、その名をもつ人の幸いを絶えず願う心が灯りつづけているのだ。


015:とりあえず
求めいし本三册が届きたりとりあえず讀む薄き本から


自分の歌には共感されてもあまりぴんと来ないのだが(ある程度自らと切り離して作歌しているからだと思う)、自分が短歌を読むときにはどこかしら共感をキィにしている節がある。わがままなものだ。
この歌も、「あなたもそうなのね」と思わず取ってしまった。本を買ってきても、図書館で借りてきても、はたまた通販で受け取っても、はじめに読むのはいつもまんがや薄い本からだ。「とりあえず」という言葉がとてもうまく使われていると思う。


059:騒
静かなる海に人恋う夕暮れの砂浜に座し潮騒を聴く


人が恋しいからといって、人の多い場所へ行ってはならない。自分とは無関係な人の多さで、孤独を更に深めるだけだからだ。
この人物は、人を恋うときには海へ向かうようだ。ひとり座って耳をかたむける潮騒は、無人のざわめきのように聞こえる。一日のひとときの、心休まる瞬間だ。


087:閉
格子無き牢獄なりやわが日々はドア閉ざされぬ歩けず籠る


自らが歩けない、それゆえに部屋は、日々は、格子のない牢獄となる。格子がないということは、おそらく鍵もない。だからこそ絶望感が募るのだろう。
上句にインパクトがあり非常に印象的だが、辿々しい下句に改善の余地があるか。


095:遠慮
遠慮なくお持ち下さい張り紙の植木鉢あり主老いしと


住宅街の玄関先に並んだ植木鉢にこういった張り紙があることは珍しくはないが、結句のその理由というのが意表を突いている。老いて世話ができなくなって手放すのがペットなどの生きものではなく植木鉢であることが無性に悲しい。本来であれば、そういった無聊を慰めてくれるのが植物であろうに。あるじの体調は大丈夫なのか、代わりに世話をしてくれる人もいないのか。そういったことが気に掛かり、取らずにはいられなかった一首だった。

野州さんの歌から5首

(Wed)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、野州さんの歌から5首を選ばせていただきました。

042:至
きみからの返事の手紙待っていたこれより夏に至る夕ぐれ


時間のある一点を境にして、見ている風景ががらりと変わってしまうことがある。もちろん季節が一瞬にして移り変わったわけではなく、あくまでも個人的で内面的な変化によるものだ。
この歌も、そういった瞬間を詠んだのではないかと思う。「待っていた」とあるのでもしかしたら手紙は受け取れていないのかもしれないが、ここは返事が届いた瞬間から夏がはじまった、その最初の夕ぐれであるとしたい。待ちわびていた返信を手にして眺める風景は瑞々しく、凛と澄んでいるのだろう。端正な歌である。


080:結婚
北方の町より届きし結婚の通知は歯痛堪えつつ読む


北の町から便りを通して届く幻の寒さと、貫くような現実の歯の痛みが呼応する。送り主がどのような関係性の人物なのかは想像をすることしかできないが、たとえその通知を読んで片方の頬が歪んでいたとしても、それは本人の意図するところではないのだ。それは恐らく、ただの歯の痛みに過ぎないのだから。


091:債
寝る前のドリップ珈琲飲みながらアマゾンサイトに負債をつくる


夜の珈琲は眠気覚ましに飲むものと相場が決まっているはずだが、いったい、眠りたいのか眠りたくないのか。あまりに眠さが勝っていたり普段から体がカフェインに慣れていたりすると一杯や二杯の珈琲ではどうにもならないことがあるが、この場合も当人にとっては蜂蜜ミルクやハーブティーのような感覚なのだろうか。
そしてAmazonでいま本やDVDを購入したところで、もちろんこの夜に届くものではない。知りつつも、それでもなお目を爛々と輝かせながら「カートに入れる」ボタンを押してしまうのだろう。矛盾をいくつも抱えつつ、更けてゆく夜が描かれている。


094:裂
梅花の盛りの下を手をつなぎ歩めばダウンジャケットの鉤裂き


春先といえどもまだまだ寒い梅の季節を、恋人と歩む。ひと冬のあいだ着倒したダウンジャケットにできていた鉤裂きというよりは、ふたりで歩いているあいだにできてしまった鉤裂きと見るべきか。もしかしたら、手をつないでいなければ鉤裂きの原因を避けることができたのかもしれない。が、手を離すのではなく、ジャケットを犠牲にする方を選んだ。ふたりが歩いたあとには、ジャケットからこぼれた羽毛が花びらのようにひらりひらりと落ちているのかもしれない。


099:惑
眩しくて朝のひかりを避けながら惑う四十肩に頬寄す


100首を通して読んで、この作者の持ち味は「適度な抜け感」なのだろうと感じた。パズルのピースを嵌めこむように歌を作るのではなく、真剣さは保ちつつもどこかひと息つけるようなスペースを一首の中に用意しているのだ。それは結婚の通知を受け取るときの歯痛であったり、デート中の上着の鉤裂きであったりする。それが妙なおかしみを誘うのだが同時にペーソスをも漂わせ、結果的に抒情を醸し出すことに成功しているのだ。
この歌でのポイントはもちろん「四十肩」である。もともとは疾患の名称であるが、ここではあたかも身体の部位として使われている。夜から朝のあいだに、四十を過ぎた大の大人が戸惑うような事態が起こったのだ。そんな相手の肩に頬を寄せる。不測の事態とその結果のように見えながら、どこか穏やかな空気が流れる後朝であるようだ。

こはぎさんの歌から5首

(Sun)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、こはぎさんの歌から5首を選ばせていただきました。

002:幸
ふと君がこぼす幸せのかたちにはなれない尖った爪を切っても


爪切りを使うと、切った爪は思いのほか鋭い欠片となる。尖った爪を切って指の先はいま丸まったはずなのに、落ちている爪は刃物のようにやはり尖っている。おそらくこの瞬間に、君がこぼした幸せと切って落ちた爪が呼応したのだろう。幸せをくれる君への愛情と、その君に対する隠しきれない羨ましさのようなものが、歌の中でほどよくミックスされている。


038:抱
泳がせておくなら苦しまないでいて嫉妬するなら抱きしめていて


恋人同士の距離感はむずかしい。離れすぎてもいけないし、近すぎても困る。この歌からは、自分との距離感に迷う恋人に対する、ひりひりするような感情が伝わってくる。おそらくこの本人も、離れすぎることと近づきすぎることへの恐怖を胸に秘めていたまま恋人に相対しているのだろう。


052:芯
ひとつずつ剥がされてゆく自尊心まだ芯にだけ触れないでいて


自尊心が何をなぞらえているものと読むかによって、さまざまに表情を変える一首である。しかし考えてみると、衣服や装飾品やその他雑多な所有物、そのすべてを剥ぎ取って生身の身体ひとつになっても、まだそこに自尊心は存在している。矜持と呼ばれるものがそれなのだろう。自尊心を剥がされゆくことを是としながらも、最後に残った芯を守ろうとするその心は持ち主の弱さでもあるが、また強さでもあるのだ。


059:騒
騒がしい踏切共鳴する部屋で始まりを待つふたり沈黙


踏切の音が騒がしいと思えるほどの部屋というと、安めのアパートが自然に連想される。部屋はふたりにとってはおそらく程よい狭さのはずだ。しかし、話しかけようとしても遮断機のカンカンという音がうるさすぎて、相手には届かない。届いたとしても聞き返されてしまう。だから黙っている。その沈黙を許し合える、そんな間柄の二人なのだろう。だからこそきっと、音が止んで踏切が上がったとき、待っていた何かが始まりを告げるのだ。


082:万
さよならを言われるために一万秒待ち続けてる駅前は、雨


一万秒は(無粋にも)換算すると、3時間弱。「さよならを言われる」こと、と目的はわかっているのに、その時間を延々と待ち続ける。なぜなら、いくら遅れたとしても「さよならを言」いに相手が必ず来ることが分かっているからだ。そして、その「さよなら」を聞かないことには自分もここから動くことができない。一見不毛に見えるが、雨の中で待つこの一万秒というのは、実は周りが思うほど無駄な時間ではないのかもしれない。

三沢左右さんの歌から5首

(Wed)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、三沢左右さんの歌から5首を選ばせていただきました。

001:初
白雪を踏み初めたりし足裏に溶けてはかなき冬の燃え殻


結句の「冬の燃え殻」という比喩が、なんとも美しい。確かに、雪の上を歩くときのサクサクという音は、何かの燃えかすを踏んだときの音に通ずるものがある。冬が燃え尽きて消え去ってしまうのを悲しんでいるというよりは、春への希求がほのかににじみ出ているような一首である。


006:困る
「困るのはいや」とつぶやく唇に触れる親指白んで透けた


つぶやいている唇の持ち主はおそらく女性だろう。そして、そうつぶやいてしまった時点でもう確実に困ってしまっている。そんな相手を前に、この親指の持ち主もおそらく戸惑っているのではないだろうか。
そう思わせつつも、謎なのは結句である。指が白くなるというのはどういった状況なのか。指先に力を込めたとき、寒くて色を失っているとき、赤らんでいる唇との対比など、幾つかパターンは考えられるがいずれも唇に触れたことによる変化とは結びつきにくい。そうやって考えていくと、どこかこの二人の関係性も触れれば透けてしまうような危ういもののように思えてくる。


012:堅
膝頭が堅くぶつかるその音が鈍くゆさぶる言葉の合間


電車のボックス席に向かい合わせで座っているシーンだろうか。「鈍く」という言葉から、鈍行列車に揺られてがたんごとんとちいさな旅をしている光景が浮かんでくる。濁音、特に「ぶ」という堅い音の連続が、会話も途切れがちな二人がこの道行きにそれほど浮き足だってはいないことを暗示しているようでもある。


038:抱
モノクロの写真の中で銃を抱く姿は遠く影を投げ出す


モノクロ、銃、そして影という象徴的なパーツが、写真展で展示されている引き延ばされた一枚のポートレートを思わせる。その銃を抱いている人物の描写をせず、結句でその影に焦点を合わせることによって鮮烈な印象が生まれている。そしてその効果により、あたかも写真の中の人物とそれを眺める作中主体がともに抱いている無力感がオーバーラップしてくるかのような、不思議な感覚に陥るのである。


070:介
離れゆく気持のすきま無機質に介在してる着信ランプ


誰かの気持ちと気持ちのあいだに着信ランプがあるとした視点が面白い。確かに、着信ランプは誰かが放った感情が今ここに届いたことを知らせるためのものである。しかし、受け取る側の気持ちのありようによって、ランプの無機質な明滅は自在にその意味を変えてしまうのだ。

※三沢左右さんに、読ませていただいた歌について自作のプチ解説をしていただきました。

船坂圭之介さんの歌から5首

(Fri)

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題詠blog2011を走り終えた皆さまの歌を鑑賞させていただきます。今回は、南野耕平さんの歌から5首を選ばせていただきました。

029:公式
身の上に心配あるの惨状は窮する人の堆積をぞ知る


但し書きとして、「(3の上に4πrの三乗は球する人の体積)=球の体積の公式」とある。題詠としてOKなのかという点は私には判断ができないが、まさか短歌において球の体積の公式に出会えるとは! 理系の者としては嬉しい限りだ。


039:庭
空しさが庭を覆ひぬやがて来る春の虚ろな夜を恐れつつ


春は生命の息吹に溢れた香しい季節であるが、その喜びを感じられるのは春の訪れに希望を見出しているものに限られるのだろう。「夜を恐れつつ」の主語は「空しさ」でもあり、作中の主体でもあることは想像に難くない。空しさに満ち満ちた庭に、それでも無意味な生長を促すであろう春の夜が、作中主体はひどく恐ろしいのだ。


056:摘
こころ深く鎮めて居りぬ恋ひとつあるいは摘出不能の癌腫


癌というのはつくづく不思議な病気だと、小さな頃から思っていた。癌細胞が繁殖した末にその宿主を死に至らしめるなど、究極の二律背反ではないか。そんな病に喩えているあたり、どうやらその恋はこころの奥に潜ませたまま表に出してはいけない類のそれのようだ。
しかし、病巣を今さら取り除こうとしたところで、もう遅い。その癌腫は既にどこかへ転移しているのだろうから。


082:万
万巻の書に埋まりて眠りたし死とは無限の夢とこそ知れ


本好きの人間にとっては、本に囲まれての圧死というのはいっそ本望なのではないかとすら思える(本人が望んでいたかどうかは知るべくもないが、実際、過去にそんな話もあったようだ)。この歌を読むと、死んだ身体がぽっかりと消えて、その後に身体から抜け出たたましいが本の世界をさまよいだすような、そんな不思議な光景が目に浮かんでくるようだ。


094:裂
逢はざれば聴かざれば声懐かしむ 天を裂くごと春雷の鳴く


頭のなかで反芻している声に穏やかに耳を傾けている上の句から一転、下句の轟くような凄まじさが印象的である。永遠の別離のあとのことだろうか。逢えないこと、声が聴けないことがこんなにも狂おしい。張り裂けんばかり、というのはこういうことを言うのだろう。他者を圧倒する寂しさに溢れた一首である。

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